戦い

今日は活動報告を控えている。 料理は始めの5分。 選挙は最後の5分で決まる。 今から始まる。 執念で勝つ。

すっきりした一念でなければ戦いは勝てない(首都圏代表協議会でのスピーチ 聖教新聞22日付) 今から指導を受けるところ。 今日はこの先の私の具体的な方向性を決めるターニングポイントになりそうだ。 日課の早朝題目もしっかり一念を定めた。 全てはご本…

マハトマ・ガンジーが南アフリカで人権闘争を展開していたときの有名な話である。悪名高い、「アジア人登録法」と彼は戦った。 悪法の廃止をめざしたガンジーは、まず、州政府の権力者である将軍のもとに行って、こう語った。「私はあなたの政府と戦います。…

人を掌握していく場合には、二通りある。 それは全体の掌握と個人の掌握である。 個人の掌握とは、人間と人間とのふれあいである個人指導がそれにあたる。 これがあって初めて、全体はつかめる。初めから全体を掌握するような、 大まかなやり方では決して充…

一、真剣でなければ悔いが残る 一、行き詰った時が勝負だ 一、大変な所に真っ先に行け 今日の新聞の先生のスピーチは本当に胸に迫る内容だった。 何度でも、読み直して、何度でも、考えて、しっかり刻もう。 日々、動きながら。 私は、この戦いに賭けている…

武田信玄の言葉。 戦いの前に、縁起がいいとされる鳩がきたとうれしそうな兵士や臣下の前で鳩を撃ち落とした。 出陣する前に、鳩がきたら縁起がいいと喜ぶ者は、鳩が来なかったら、今度の戦いは危ういのでは、 と不安を抱くにちがいない。 そうすれば全軍の…

知恵がでるかどうかは慈悲があるか、どうかである。母親だって、 子どもの事をおもうからこそ、他の人には思いもよらない角度から、パッ、パッと知恵が出る。 教師も、あらゆる指導者も同じである。 相手を思う心というか、責任感というか、真剣さである。 …

信心には“中途半端”はない。 “強い”か“弱い”か、どちらかである。そして仏法は“勝負” すなわち“勝つ”か“負ける”か、どちらかである。(1992・8・18) 人は、柔らかな、優しい言葉に弱い。でも、その本質は?その奥には? 知らず、知らずに楽なほうに流れてい…

戦いを楽しんでやっていますか?自分を追い詰めて心が狭くなってしまうような戦いであってはいけません。本当の戦いは、心を豊かにしていくものです。 (大百蓮華2004年2月号加納さんの証言より) 今年も残りわずか。会合も今週一杯まで。 とはいえ、会合が…