人生、最後の最後まで戦いきった人は美しい。歳の風化作用も、そのような人物には及ばない。いやむしろ、日がたつほど、その存在は一段と大きく光っていくものだ。(女に贈ることば 125日)


10の上旬地区のおかあさんが亡くなられた。
亡くなる直前まで男子部を病床からメールを送り励ましていた。胃がんのため、何も口にすることがずっとできなくて最期にモンブランが食べたいと言ってうれしそうに食べていたそう。


私を育ててくれた祖母も胃がんでなくなった。記憶が重なった。
祖母は最期に黒砂糖が食べたいと言っていた。医師からは固く禁止され、父も兄もそれを守っていたけれど、ある日私はこっそり一欠けらの黒砂糖を食べさせた。
その行為が死期を早くさせたと言われたこともあったが、今も後悔はしていない。
その時の祖母の嬉しそうで安していた顔が忘れられない。
「やっぱり、やすよだった」と祖母の最後の言葉も。
けんかばかりしていたのにね。



地区のお母さんは、創価の母だった。地域の母だった。
内外問わず、人気だった。明るくて、気さくで、気配りができて、食べ物をよくふるまって…
晴れた日に偶然会うと「今日は先生が八王子にこられているから気持ちのいい晴れなのよ」
と笑って話す。すぐに先生の話をする。
本当に先生が好きなんだなあってうくらい嫌みなく、さわやかに話す。


お通夜の日、部屋に入ると創価大学をバックに満面の笑みの大きな写真が迎えてくれた
私はその写真が脳裏に焼き付いて離れない。
一流の芸術作品を見たときのような衝撃だった。


ねぇ本当の美しさって・・・
限りある命を悟り精一杯、創価の母として燃やし続けた地区のおかあさんほど美しい人はいない。
そうった。


「太陽」だった。


だもの。
私も美しく生きたい。