私は子供の教育に、重要な観点が抜けているように思う。
それは、何のために教育するかということである。私は教育の根本テーマとして「自立させるための教育」を訴えたい。
子供は親の所有物ではない。一個の人格である。まだ力のない人格である。力がないゆえに「だから守る」のである。一個の人格であるがゆえに「だから自立させる」のである。
教育の「育」とは育てることである。春、種を植える。育つのは種であり、草木自体である。
人間は雑草を取り除き、肥料を与える。その肥料を大地から吸い取るのは草木である。育てるというのは、草木に自立させるために周囲から守るのである。したがって、教育の「教」も、自立を教えるものであって然るべきと思えてならない。
(略)
子供が自立するためには、力をもたなければならない。それは、知識の力であったり、技術であったりする。その力を持たせるためには、才能を伸ばす努力が必要になってくる。もちろん、万全に、とはいかないであろう。しかし、そのための最善の努力はなされなければならない。
すなわち、子供の生命を揺さぶり、才能の芽を掘り起こし、太陽の下で、育てるためには、日々新たな、興味に富んだ環境を子供に与え、そこで自力で歩ませていくべきであると主張したい。
「自立」を骨格とした教育にあっては「躾」の意味も変わってくると思う。「あれをしては叱られる」「こうしてはいけない」という躾のみであってはなるまい。前向きに「こうすることが正しいこと」という教え方が必要になってくる。たとえば、子供が他人に迷惑をかけたら、叱るだけでゃならない。ちゃんと迷惑をかけた人のところへ自分で行って謝ってこさせる−−このぐらい自分の良心にしたがって行動する子供へと成長させることが期待されてもよいのではなかろうか。
(1978・1月 「婦人生活」掲載)


自立・・・
十分な愛情があってこそなんだよね。
でも、この愛情って・・・人それぞれで、ややこしいね。


娘は夏休み中。
ふ〜っ(笑)


全くいうことをきかない。私のやることだけは言わなくても染み付いているよ〜
冷蔵庫をお尻で閉めている・・・
扇風機を足で消している・・・


わ〜恥ずかしい(笑)