子供は親の後ろ姿を見て育つ

仏法には「蔵の財」よりも「身の財」がすぐれ、「身の財」より「心の財」が第一とある。子に対する親の愛情はさまざまな形をとって表れる。
自分が築いた財産を子供に残していくというのは「身の財」であろう。しかし、結局は「心の財」、すなわち、その人の生命自体にたぎる人間としての力、豊かな人格や人間性といったものがないと、これらは真に生かされず、幸福な人生を築くことは難しい。
私は、親として、子にほどこしてやらねばならない最大のものは、その生命に、かぎりない「心の財」を形成していくことであると思う。深く豊かな人間形成のためにこそ、親が必要なのだとさえいってもよい。つまり、親の日々を懸命に生きゆく姿勢が、たとえ、平凡であっても、子供が、「心の財」を積んでいくこととなるのである。
そうした意味で、小学校4年生の女の子が書いたある作文を思い出す。
その子の父親は左官屋である。友達の父親は、きちんと背広を着てネクタイをしめている。ところがこの子の父親は、いつもセメントや土のついた服を着ている。それが恥ずかしいと彼女が言うと、母親はある日、子供を父親の仕事の現場へ連れて行った。
そこで、父親が暑い建築現場で汗まみれになって働いている姿を見たわけである。母親が「暑いところに立って、お父さんをじっと見なさい」と言った。クギを打つときに、口に5、6本のくぎをくわえ、一本、一本ていねいに、カチカチ打ちつけている。父親は「暑いのになにしにきた」とたずね、「アイスクリームでも買え」と100円くれたという。夕方、仕事から帰ってきた父親に風呂の中で彼女は「なぜ、サラリーマンにならなかったの。そうすれば屋根のある建物の中で、すわって、クーラーのきいている所で働けるのに」と言った。

(続く)