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(18日付・2面・6段目〜7段目)
「蔵の財よりも身の財」「身の財より心の財 第一なり」
「心の財をつませ給うべし」(同1173㌻)
この簡潔な御聖訓は、年齢とともに一段と重みを増してくる。
人生の最終章は、いかなる財を積んできたか、その総決算が
問われるからだ。
どんなに「蔵の財」を積み上げとも、死後にもっていくこと
は絶対にできない。
「蔵の財」に目が眩んで、「心の財」を積むどころか、反対に壊して転落してしまう、増上慢という愚かな人生の敗北の
末路の惨めさ!
これらの浅ましき金の亡者どもの行く末を、御書では
「有財餓鬼」と厳しく叱り、戒めている(1111㌻)
貪欲に蔵の財をため込んで、独り占めして、人々に恩返し
しようともしない。社会に還元しようともしない。
そうした強欲の輩は、いずれ、馬の蹄のわずかな水を貪り
続けざる得ないような餓鬼道に堕ちる、と言われるのである。
お金より大切なものがある。そう、皆思っていても
やはり、難しい、お金に対する思い。
お金の存在そのものは当然、悪ではないけれど、時間の使い方と同様、
何に使うか、でその人の、ほとんどが分かります。
広布のため、戦いのために使われたお金は、必ず、
蔵・身・心、全ての財となって必ず戻ってくる。
これは、私の確信。
絶対にまちがいない。
だからって功徳目当てじゃちょっと違うかも。
今、親として子に、信心という、
心の財を残してあげたい。それが子に対する
唯一、私の思い。