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- 作者: 佐久協
- 出版社/メーカー: 祥伝社
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「エセ紳士は、さしずめ道徳世界に侵入したコソ泥ってとこかね」
「独立独歩の者は、人と協調しても付和雷同しないものだ。
自分を見失っている小物たちは、すぐに群れるが、協調することはしないもんさ」
子曰、君子和而不同、小人同 (子曰わく。君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず)
【解説】
○フランスの哲学者アンリ・ベリグソン(1859〜1941)は「水草が嵐に耐えられるのは、群れているためではなく、それぞれが根を水中深く下ろしているためだ」と指摘している。
三十年前、婦人部グループは発足した。
その時の先生の指導のテープと激励のピアノ演奏を聞くことができた。
三十年前なのに先生の指導は今と寸分も違わなかった。
毎月の本幹放映を聞いているような感覚がした。
時を越えるということってこういうことなんだ・・・
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祖母のこと。
多宝会
熱き涙で
讃えなむ
所願満足
諸天よ護れと
佐渡流罪の大難のなかで、日蓮大聖人をお護り申し上げたのは、年配の門下であった。庵室には、地頭らが立ちはだかって厳しく監視を続けた。食事をお届けするのも、まさに命がけであった。
「阿仏房にひつを・しおわせ夜中に度度・御わたりありし事いつの世にか・わすらむ、只非母の佐渡の国に生れかわりて有るか」(1313ページ)
(大百蓮華10月号 巻頭言)
昨日、亡き祖母の夢をみた。
そういえば、ばあちゃんは創価学会をばかにしていたっけ。
母がいなかった私を育ててくれたのは、ばあちゃん。
目が悪かった。
私の反抗期の対象は、ばあちゃん。
随分ひどい事を言ったよね。
細い、体。
曲がった腰を更に曲げて
幼い私をおぶって毎日、保育園の送り迎えをしてくれた。
田舎だったから保育園遠かったよね。
小学5年の時、母の日のプレゼントで似顔絵を書く授業があった。
少し心がチクっとしたけど、
迷いながら、
ばあちゃんの似顔絵を描いた。
21歳の時、ばあちゃんが亡くなって遺品の整理をしていたら、
大事にしている書類の木箱に私の描いた絵が一枚入っていた。
ばあちゃんの恩、絶対、忘れないよ。
幸せになるからね。
多宝会のおばあちゃんは、自分のおばあちゃんだよね。
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これは大変誤り易い事なのだが、憎悪は感情のものというより寧ろ観念に属するものなのだ。おのずから発する憎悪の情という様なものはないので、一見そう見えるが、実は恐怖の上に織られた複雑な観念であるのが普通であり、意志や勇気や行動に欠けた弱者の言わば一種の固定観念なのである。(カラマアゾフの兄弟14−122)
実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない。ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に見えるのだ。(作家志願者への助言4−119)
実行家として成功する人は自己を押し通す人、強く自己主張する人と見られがちだが、実は反対に、彼には一種の無私がある。空想は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。有能な実行家いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の
無私である。(無私の精神23−102)
どうか、柔軟な心という言葉を誤解してくれないように。これは、確固たる意志と決して抵触するものじゃない。(文芸月評1 3−144)
小林秀雄さんって全く知らなかった(恥)
知る人ぞ知る、批評家なのね。
夕飯の買い物中、
たまたま本屋さんで気軽に買ってしまった本。
おかげで、夕飯の献立は焼肉から野菜炒めに変更しちゃいました。
衝動買いだったかな〜なんて思いながら読んでみた。
びっくり。
ドキッってする言葉たちが多くて。
出会いに感謝。