人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

これは大変誤り易い事なのだが、憎悪は情のものというより寧ろ観に属するものなのだ。おのずから発する憎悪の情という様なものはないので、一見そう見えるが、実は恐怖の上に織られた複雑な観であるのが普通であり、志や勇気や行動に欠けた弱者の言わば一種の固定観なのである。(カラマアゾフの兄弟14−122)

実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない。ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の最大の格なのだ。だからこそ助言はすべて平凡に見えるのだ。(作家志願者への助言4−119)

人間は憎悪し拒絶するものの為にはしまない。本当のしみは愛するものからやってくる。(ランボウ?15−126)

実行家として成功する人は自己を押し通す人、強く自己主張する人と見られがちだが、実は反対に、彼には一種の無私がある。空は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。有能な実行家いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の
無私である。(無私の精神23−102)

どうか、柔軟なという言葉を誤解してくれないように。これは、確固たる志と決して抵触するものじゃない。(文芸評1 3−144)


小林秀雄さんって全く知らなかった(恥)
知る人ぞ知る、批評家なのね。


夕飯の買い物中、
たまたま本屋さんで気軽に買ってしまった本。
おかげで、夕飯の献立は焼肉から野菜炒めに変更しちゃいました。
衝動買いだったかな〜なんていながら読んでみた。


びっくり。
ドキッってする言葉たちが多くて。
出会いに謝。