生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顛倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず、水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず(三世諸仏総勘文教相廃立 563㌻)


(通解)
生と死というものは、九界の迷いのなか、あたかも夢の中での立て分けなのであり、それは凡夫の迷った、ひっくりかえった考えなのです。仏の覚めた悟りから生命を究明していけば、生まれてくる初めもなく、したがって死んでいく終りもないのです。いわゆる生死というものからは超越しているのが生命です。ですから、生命そのものは人間世界が破滅するとき起こる大火ににも焼けず、どんな水害にも滅びません。また刀でも切ることができず、弓矢でいることもできません。さらに生命というのものは、極めて小さいケシのなかに入れてもケシが広がるのでもなく、生命が縮まるというものでもありません。大空に満ちわたらせても、大空が広すぎるということもなく、生命が狭すぎるというものでもないのです。


ううっ・・・難しい・・・・
考えれば混乱してくる・・・


「仏とは生命なり」っていう戸田先生の悟り。う〜ん。
この一節を読んで感じたのは、
「なんかすごい。生命って」
でも、強い気持ちになった。勇気がでるっていうか、怖くないっていうか。
それでいて自然で、穏やかな感じ。
(頭よわくてスイマセン・・・)


命で感じるしかないのだわ。
てか御書はすべて命で読んで感じていかなきゃね。
実践の教学を。生活のための教学を。


今は分からなくても日々挑戦。拝読していこう。