善と悪、仏と魔はつねに一緒に現れる。気をつけないと
見分けがつかなくなる。魔ほど、恐ろしいものはない。その魔を見極めるのが、仏法である。魔と戦い、勝つための仏法である。見極める力、勝つ力は、命がけの信心からしか生まれない。
魔を見極めなければ、本当の戦いはできない
(1995年・4・23)


魔を見極めていくのは、難しい。
知らず知らず、私も食べられていた。


そのための指導を受けるってことが大事なんだ。
厳しい事を言われた時、どう受け止めて行くか。


萎縮して逃げてしまうのか、自分を責めて、自信を無くすのか、ただ反発するのか、
様々な思いがめぐる。
一瞬、日記を書くことも、ためらった。


信心の指導は、悪の生命の本質を鋭く捉え、その
不幸になりゆく生命を破っていくことである。そうであってこそ、相手は心から懺悔し、
自らの生命を直していこうとする。
また逆に反逆の心をあらわにする場合もある。しかし、妙法を根本とするとき、いったんは罪
に堕ちても、必ず救われていくのである。
(1988・6・7)


中途半端な自分のまま、書いてきて、読んでくれた方々に不快な思いをさせたかもしれない。


懺悔します。
もう一度、新しい自分で出発します。
叱咤していただける先輩に出会えたことに感謝して。
自分のために、後に続くひとのために、
ちゃんとしなきゃ!
まけるな自分。
謙虚に、笑顔で。
笑顔は他人のためにある。自分ではみえないって。