御書を拝することの大切さ

日々の家事等でまことに多忙であり、また育児等も大変ななか、このように真剣に
御書の研鑚をされている姿を、私は心から称えたい。
このエゴと無責任と娯楽の時代というべき現姿ほど尊く、美しいものはない。
私は心から、「ご苦労様」と申し上げたい。
ご本尊、大聖人も必ずや、御称賛されていることと思う。
御書においては「五重の相対」「四重の荒廃」「三証」、また「文上・文底」
「一往・再往」「総別の二義」「当分・跨節」「教相・観心」等々拝し方があり、
じつにさまざまな角度から体系的に論を尽くされている。
その究極の結論として、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊に一切が帰着するのである。
このご本尊こそ末法万年尽未来際までの一切衆生の成仏の根本法であられる。
このご本尊の無量無辺にして絶対の仏力・法力をいただくのは。私どもの信力・行力に
よるのであり、純粋にして強き信心が大切になってくるわけである。
ゆえに、私どもは生涯不退の信心でなければならない。このご本尊を受持し、成仏という目的地
まで正しき信心の歩みを運びきっていくなかに、自然のうちに甚深の御書の法理に
のっとっていけるからである。
その正しき信心を実践しゆく裏づけとなるのが教学であることを知っていただきたい。

(続く)
(東京・北多摩圏ヤングミセス代表者会1986年4月21日)