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- 作者: 内村鑑三,鈴木範久
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/07/17
- メディア: 文庫
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度々、スピーチに出てくるこの本。
下の子を妊娠中に読んでいたのだけれど、内容を少し忘れていたみたい。
先日のグラフSGIで紹介されていた上杉鷹山についても書かれていた。
彼の師、細井〔平州〕が繰り返し聞かせた話。
大藩紀州の藩主徳川頼宣は、言いつけを聞かなかったために、その膝をきつくつねられたことがある。そのときできた膝のあざをそうっと眺めるのが常であった。「これは尊氏が私に残した警告である。これを見るたびに、自分を省みて自己と民に誠実であるかと問う戒めとしている。
しかし、残念ながら、あざは年を取るごとに色うすれ、それにしたがい私の慎みも薄れている」
孫娘に宛てた手紙
人は、三つの恩義を受けて育つ。親と師と君である。
それぞれの恩義はきわまりないが、とりわけ他にまさるは親の恩である。
この世に生をうけたのは親の恩による。この身体が親の一部であることを決して忘れるてはならない。親につかえるときには、偽りのない心でふるまうようにせよ。、もし、あやまちを犯しても、真心さあるならば大きなあやまちではない。知恵不足のためにできないとは思うな(その不足は真心がおぎなう)
領内を治めることは、とても及ばぬように考えるかもしれない。しかし、領内を治めるもとは、よく整った家にあると思うがよい。よく整った家は、妻の夫に対する関係がきちんとしなくては成り立たない。水源が濁っている川からどうしてきれいな流れを期待できようか!・・・
年若い女性である以上、着物のことに心がとらわれやすいのは当然である。しかし、教えられた倹約の習慣を忘れるではない。養蚕をはじめ女の仕事に励み、同じに和歌や歌書に接して心を磨くがよい。文化や教養は、それだけを目的にしてはならない。すべての学問の目的は徳を修めることに通じている。そのため、善を勧め悪を避けるような学問を選ぶがよい。和歌は心を慰めるものだ。それにより月や花が人の心の糧となり情操を高める。
春を得て花すり衣重ぬとも
我がふる里の寒さ忘るな
(春が訪れ、花の衣装を身にまとう時節となっても、山里の父の家で過ごした冬をわすれるなよ)
上杉鷹山は、華やかな印象で語られることはないけれど、
すごい人だ。
かっこいい。