卒を視ること嬰児の如し。故に之れと深谿にも赴く可し。
卒を視ること愛子の如し。厚くするも使うこと能わず、愛するも令すること能わず、
乱るるも治むること能わざるは、譬うれば驕子の若くにして、用う可からざるなり。



平素から将軍が兵士に注ぐまなざしは、まるで、いとおしい赤ん坊に対するようである。
そうであればこそ、いざという時に兵士たちを危険な深い谷底へでも引率できるのである。
日頃から将軍が兵士に注ぐまなざしは、あたかも可愛いわが子に対するようである。
そうであればこそ、兵士たちと戦場で生死をともにできるのである。
だが手厚く保護するだけで使役することができず、可愛がるだけで命令することができず、
軍規を乱しても統制できないのは、譬えるならば、驕慢などら息子みたいなもので、ものの
役には立たない。( 孫子 浅野裕一監修より)


ここ最近、中国古典の読書に挑戦中。
難しいけど・・・まさしく知恵の宝庫だわ・・・

この節の解説にこうあった。

最後は指導者個人の人格的力量にかかってくる。いかに美辞麗句を連ねてみても、
それを実践できるだけの教育力がなければ、掛け声倒れに終わり、現実に起こる問題をいささかも
解決はできない。子供との深い心の繋がりをつくろうともせず、やにわに命令や処罰に走る教師や親、ご機嫌取り出てはかえってなめられ、子供のいいなりになって少しも統制できない教師や親が多い昨今、この孫子の言葉は、人間関係を考えるうえで味わい深いであろう。

って。


最高の仏法を持っているんだから最高のの人格者にならないとね。
ゆっくりと時間をかけて。


ようし、今日もあと少し。
最後まで丁寧に過ごそうっと。