例えば会合がある。たくさんの方々が参加される。
会合が終了し、そこで、中心者の責任が終わったのではない。
その方々が全員、無事故で自宅に帰り着かれるまで、会合は終わらないと考えていく。
そこまで見届けるように、気遣っていく。
それが大聖人の仏法を奉じ、仏子をまもりゆく指導者の責任である。


会合終了後にお酒を飲みながら雑談する男子部いませんか?
まさかね。
許さんぜよ!(笑)
ふと思いだした。
夫の任用試験の前日の勉強会。前日なのに深夜1時になっても帰らない。
私は、2人目の妊娠中だった。
何かあったのでは・・・と心配した。
携帯もでない。
何度か掛けてやっと通じた。マナーモードで気づかなかったと。


「責任者は誰だ!誰だっていっているんだあ〜!」「今すぐ替われ!ガツンといってやる!」
「・・・・もう、いいからさ、今すぐ帰るから・・・」
とのやりとりを繰り返し、私、あの時は本当にキレた。私は海育ち。キレるとヤンキー
鹿児島弁がでる。(兄の影響デス)


この責任者と理解し合うのに、1年かかりました。


私も小さいながら、会合を運営する者となった。
肝に銘じよう。どこまでも気がつく人になろう。もっと深いところまで。
境涯を高めなきゃ。


所属するブロックが今年最優秀ブロックとして表彰された。
主な活動家は、私を含め3名。不思議・・・
実感がわかない。
確かに多少の疲労感は感じてはいるけれど(苦笑)
それなりの結果が出せたからだろうけど、その陰でたくさんの未活がくすぶっている。
嬉しさはなかった。
成果主義にはなりたくないよ。
目にみえないものを気づく人になりたい。