“さいわい”は心から

御書に「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」(1492㌻)
との御文がある。
 信心の世界にあっても、心が野心と虚栄のみで、口先がうまく、要領よく世を渡り、小利口に
振る舞う人間がいた。だが、一時的に成功したように見えても長い目で見た場合、結局は人々から
見抜かれ、信頼を失ってしまうものである。自らの不誠実と虚栄の心によって自ら不幸をまねき、人生を破壊していくのが常である。
 逆に、たとえ口べたであっても、誠実でまじめな信心を貫き、真心のうえから語り、行動していく人は、最終的に自分を“さいわい”で飾っていくことができる。人からも尊敬されていくものである。
 短い一節であるが、目に見えない「心」「一念」がどれほど大切なものか、また人生の幸・不幸を
決定していくか、その要諦をご教示された御文であると思う。
要するに、仏法の世界においては、口のうまさとか、小利口な要領のよい生き方は全く必要のないことであり、無縁なのである。そのことを皆さまは賢明かつ鋭く見抜いていただきたい。

(1986年4月11日 東京・北多摩圏ヤング・ミセス代表者会)

今日は地域のママさんバレーの初日。2人の子連れで参加。
自宅に戻り、なぜか、夫にアタック連打。激戦となる。
わざわいは口からでて身をやぶり、ボロボロに・・・

大反省。
体育会系の私。夫は、真逆。

まだまだ夫に対する一念が狂っているからこんなことになる。
頭ではわかる。
わが生命の傾向性か。。。宿業的な難しさ。重さ。

逃げてはいけない。
放り出したくなるけれど。

みな、人知れず、戦っているんだ。
自分だけじゃない。