(6日付・4面・あの日あの時③〜池田先生と東海道〜)


〜われ正義の旗持つなり〜
<昭和54年5月5日>


文字は力なり。
文字は生命なり。
この日神奈川に正義の生命が吹き込まれた。



「私は大丈夫だ。どんな立場になっても変わらない。意気消沈したら負け。
 今までと変わらず、『前進』していけば勝てる」



第三代会長に就任した5月3日に、夫人は 「池田家の葬式」と覚悟を決めた。
会長辞任の5月3日は「いいお祝い」と意を決した。
泰然自若であった。


車での移動中、道端に小さな看板があった。
聖教新聞の申し込みを受け付ける旨が書かれている。
「こういう人が偉いんだ」
すぐさま激励に向かった。
神奈川文化会館の明かりを消さないように提案したことも
あった。
「窓が明るければ、見上げた人が、私が来ていると思う。
 励みになるじゃないか」
会館の電灯まで使って、会員に希望を贈った。



私は神奈川に住み、3年。20歳の時入信して
いたものの、活動もいまいち確信なく、師弟の意味
など分からず、やっていた。


学会の歴史など、あまり気にもとめず、
宗門と決別のいきさつも、なんで名誉会長っていう
のかも、神奈川に住むまで、知ろうともしなかったし、教えてくれる先輩もいなかった。


会長勇退のことを始めて学んだのは、ここ神奈川。
しかも、残念なことに地元幹部や、
先輩からではなかった。
小野さんのwikiをみて知った。


衝撃をうけた。


それがきっかけで先生に対する思いや、
自身の信心の姿勢が深まったのはいうまでもない。
私にとって神奈川は発迹顕本の地なのです。


戸田先生が亡くなった時、先生は、泣かなかったという。

   
  

今の私のままでは、きっと泣き崩れてしまうだろう。
悔いを残して。