見かけや効率を重視する社会に自分を適合させなければならない状況におかれた現代人を
よく“圧力鍋”に見立てます。
他人の評価に縛られ、自分とは違うリズム、およそ不自然なリズムに必死になる中で、無理なストレスが生じてくるのです。
このストレスが重なれば突然、爆発する危険をもっているからです。

最近、私が診察する外来患者にも、こうしたストレスに悩む人たちが、これまでなかったほど、たくさんいます。彼らは常に疲れを感じていて、血圧は高く、抑うつパニック障害の症状が見られます。
人間の体は、「不安」という形で自分自身にシグナルを発します。
仏教の洞察からすれば、パニックは抑圧されて出せずにいたエネルギーの表出と考えられるでしょう。

(略)
すなわち、苛酷で非現実的な生活様式やトラウマ、悲嘆、心配、人生における新しい出来事(それが、たとえ楽しい出来事であっても)といった、外的状況に直面し、それをどうにかして打破しなければならなくなった時、パニックが現れるという考え方です。
(略)
パニックがおこるということは、自分の中に、大事な何かが存在していることを意味しています。
したがって、パニックが起きた時は、自分がそれに耳を傾けて、理解してあげる環境をつくってやらなければならないということなのです。(大百蓮華6月号 仏法は希望の生命学 より)


私がパニック障害と診断されてもう4ヶ月たつ。
通っている鍼灸院で最近、脈がよくなってきたって。
脈診である程度分かってしまうので、隠し事はできない(笑)


圧力鍋っていう表現・・・うまい。
適度な圧力と時間なら、ぐっと味はしみて、やわらかくなって、最高の味になれるんだよね。
ブタの角煮も、人間性も。


がんばることと無理をすることは紙一重
ポイントは自分を生かしているか、殺しているか、なのかしら?


最近ちょうど思っていたことだった。
なぜ、迷うのか、悩むのかって・・・もしかしたら、今までなら、逃げていたことだったのかもしれないって感じる。



あと、少し。
大事なとき。


創価学会の信心はあまりにも素晴らしい。
大感謝で進もう。