今この瞬間も、どこかに、
なんとかしたいと必死で題目を唱える同志がいる。
泣きながら、声に詰まりながら、題目を唱える同志がいる。
夜、しんしんと唱える母がいる。
その陰で励ましの題目をおくる同志がいる。


陰で支える人がいる。
それは、家族だったり。友達だったりもする。


ああ、そうか、私の命は自分だけのものじゃない。


私は、生かされている。
生かせてもらっている。


いのちと申すは、一切の財の中の第一の財なり(1596㌻)


そのいのちを私は本当に感謝できていただろうか。


私は、2度、命を落としそうになった。


一度目は一歳前、赤ちゃんの時。
母の心中未遂だった。
そのあと母は家を出て行った。
私にその記憶はなく中学生の時に父から聞いた。


2度目は20歳の時。
それは自らだった。もう、疲れたと。
それも、未遂に終わった。


1ヵ月後、創価学会に入会をする。


私は、この信仰で生きる意味を教えてもらった。
でも頭でしか分かっていなかった。


そして、今日、この大事な大事な自分の命に気づく。
あまりにも、大事な大事なこの命。


父よ母よ。ありがとう。
ご本尊様ありがとう。
生きるって、生きているって、こんなにすごいことなの。
なんて、ありがたいことなの。


自分のためだけでなく、自分以外のために命を使うことは、
ほんとうは、自然なことだった。
それに、やっと気づいた。


自分を大切にしたい。