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- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1978/08/08
- メディア: 文庫
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中身と形式
物の内容を知り尽くした人間、中味の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥しないし、また無理な形式を喜ばない傾きがあるが、門外漢になると中味がわからなくってもとにかく形式だけは知りたがる、そうしてその形式がいかにその物を現すに不適当であっても何でも構わずに一種にの智識として尊重するということになるのであります。
形式が智識になってしまうって・・・気づかなかった視点。
ここに一つの平面が交叉しているとすると、この二つの平面の関係は何で示すかというと、申すまでもなくその両面の食い違った角度である。(中略)それをこの二面がいちでも偶然平らに並行でもしているかのごとき了見で、全体どっちが高いのですと聞かなければ承知できないのは痛みいります。
人間と人間、事件と事件が衝突したり、捲き合ったり、ぐるぐる回転したりする時、その優劣上下が明かに分るような性質程度で、その成行が比較さえできればいいわけだが、惜しいかなこの比較するだけの材料、比較するだけの頭、纏めるだけの根気がないために、すなわち門外漢であるために、どうしても角度をしることが出来ないために、上下とか、優劣とか持ち合わせの定規で間に合わせたくなるのは今申す通り門外漢の通弊でりあります・・・・(中略)
学者というものは色々な事実を集めて法則を作ったり、概括を致します。あるいは何主義とか号してその主義を一纏めにします。(中略)
傍観者ということはどういうことか、なぜ傍観者は矛盾に悩むのか。
これに反して自ら中に入って活動するものはなぜ中味を体得していくのか。
という夏目漱石の深い識見が繰り広げられる。
頭であれこれ考えるより体動かしてみよう。
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著者はカトリック教育を受けている方。NGOで海外で活躍されている。
主義は性悪説よりなのかしら?
びっくりするタイトルでつい手にとってしまった。
読んでいくとたまに胸がむかむかしてきた。
これは私の偽善を突いているからなのかもしれないし、このような考え方に生理的にショックを受けているのかもしれない。
でもさ、いかに、自分が浅いか。
善意は、相手のためではなく自分のエゴだったことが随分あったね。
違う角度で自分を見られた一冊。
著者が感銘を受けた詩(宮川優さん・産経新聞 朝の詩より)は
私の胸を鋭く刺す。
凧が空高く飛べるのは
誰かが糸を引っ張っているから
でも凧は
その糸さえなければ
もっと自由に
空を飛べると
思っている
その糸がなければ
地上に
落ちてしまうのも
知らずに
(凧の糸は失敗、苦労、不運、貧乏、家族に対する扶養義務、病気に対する精神的支援、理解されないこと、
誤解されること、などのこと。それらは確かに自由を縛るようには見えるが、その重い糸があるからこそ初めて凧は強風の青空に昂然と舞うのである)
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医学は、多くの「臨床試験」をもとに、成功例・失敗例を研究し、公開し、普遍性のある技術や治療法を進歩させてきた。ところが教育は「現場の教師」の貴重な体験が尊重されることなく、学者や官僚、政治家、その他、教育現場の経験のない人間によって指導されてきた。一方、現場の教師も、教育実践を分析して「普遍的な教育技術」に高める努力が十分でなかった。
素晴らしい教師がいても、その人がいなくなってしまったら、経験も蓄積も技術も消えてしまい、個人的な職人芸で終わってしまう。その結果、教育の方法は「科学」とならず、「原始的状況のままである。(中略)
医師が治療を間違ったら、人を殺してしまう。間違った教育も人を殺す。魂を殺す。頭脳を殺す。社会の未来も殺してしまう。医学のように、ただちに目に見えないから、その怖さ、大事さに鈍感になっているだけである
見えないものを見ようとする力。
見えないものを信じる力。
大切にする力。
本当の輝きや美しさは
時をかけて創られていく。時をかける必要がある。
辛いときや苦しいときは、よく思っていた。「鈍感になりたい」
何も感じたくないって。
でもそれってやっぱり違うのね。
感じれることは素敵なこと。
悩んだら、体、動かしてみよう。
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- 作者: 田辺聖子
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2003/03
- メディア: 単行本
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でも私は怒ることもしない。
そうして思った、怒らないほうが人間にとってずっと容易しいんだって。
怒るというのはむつかしい。あとの手当てや始末にエネルギーが要るから。
それより(ま、いいか)と怒りをこらえているほうがずっとたやすかった。
『九時まで待って』
「思い込み」はクリエートする人間のいちばんの敵である。
私の一大欠点は「人を喜ばせるのが大好き」という点だったのだ。それでいて自分を喜ばせることをしなかったんだもの。
私は自己犠牲という意味ではなくヒロシを喜ばせることが私の喜びだったのだ。
それは愛に似ているけど、愛ではなかった。
なぜって自分のないところには、愛はないもの。
『恋にあっぷあっぷ』
お金よりも好きなものを持っている人って、現代では最高のロマンチストだもの。
『言い寄る』
ただしいことを信条にしたらあかん。どうせでけへん、そんな高尚なこと。たのしいことをしたらよろし。ただしい、と、たのしい、一字ちがいでえらいちがいや。
『おかあさん疲れたよ』
陰気というものは伝染るものである。なるったけ陽気な人のそばにいるほうがいい。陽気も伝染るのだ。そしてこれから先の世の中、陽気でないと、もうやっていけないのだ。
もっといいのは、陽気の発光体に自分がなること。
陽気にらないと、核廃絶も戦争反対も叫べない。陽気の発光体になって、自分のまわりに陽気な人を集めるようになれれば、どんなにいいだろう。
『死なないで』
血肉になってない知識は知らないのと一緒である。
『猫なで日記』